【drumatrixxアーカイブス】【第15回】Progressive House

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前回、Ministry of soundからご無沙汰の更新となってしまったが、時を遡る事1992年にUKアンダーグラウンド・クラブシーンで新たなムーヴメントが起きようとしていた。丁度この頃を振り返ると、UKのダンスミュージック界はLarry Levanが再評価され、ポップ・シーンでは所謂ハードコア・テクノが市場を席巻、更にDFCレーベルに代表されるイタロ・ハウスが持て囃されるなど、話題は尽きなかった。しかし、市場を賑わせていた新しい音楽はかつてのバレアリック・マインドとはかけ離れたミクスチャーであった事は間違いない。日本も92年当時、US Houseの保守化によりUK Houseが評価されることは殆ど無く、筆者の私も現場でplayしていた時も「何だよ、白い音なんてかけやがって」なんて言われて悔しい思いをしました。そんな閉塞感漂う中で登場したのがProgressive Houseという全く新しい音楽であった。

このProgressive Houseという音楽は、筆者の私も説明に少し悩んでしまうのだが当時の記憶を辿りながら説明したいと思う。先ず、ルーツはどこからなのか?という問いは筆者の私の所感であるが80年代のNew Waveだと感じている。そのNew WaveからAcid House、Deep Houseを吸収し、より進化させたものというのが一つの流れとなり誕生したのだと思っている。そして誕生当時に特徴的だったのは覚醒的なミニマル・シーケンス、ラテン・パーカッションとダブ・ベースを基調としたトラック構成が核となっているので、ちょっとワルーいハードコア・クラバーには「エクスタシーの絶頂感を味わうには最適の音楽」と評され、誕生当時から少々一般層には説明がしにくい、キワドい音楽であることはお分かり頂けると思う。

そして、このProgressive House誕生と隆盛に大きく関わっていたのが元UnderworldのDarren Emerson、Justin Robertson、Sashaというスーパースター達の存在だ。筆者の私も、彼ら3人から受けた影響は計り知れないし、彼らの存在無くしてProgressive Houseがココまで大きな市場にはならなかった筈だ。ココ日本では残念ながら当時の彼らの活躍はメディアを通して十分な発信はされなかったし(元Remix/Loud初代編集長 平田知昌氏はクラブ・ミュージックの文化誌/宝島社で紹介し、Remixでも記述あり。)大手レコ屋のバイヤー陣も大々的にはpushしていなかった。恐らく売り手側としては、当時HouseなのかTechnoなのかカテゴリ分けの判断が難しかったのだろう。

なお、Tranceという言葉もこのProgressive House誕生時には既に定着していたカテゴリであった事は敢えて付け加えておく。決して多くの日本人が認識している96年以降のTranceから派生したものでは無いし、商業ベースのテイストを上手く取り込んだのは98年以降の流れからである。

・Darren Emerson

本名Darren Paul Emerson、16歳の頃からDJ活動を開始し銀行員として働きながらDJ活動を継続し、後にプレイが評価されシーンの台頭に立つ。日本ではUnderworld加入後からの知名度が高いのは言うまでも無いが、彼が加入後の初仕事は自主制作レーベル”Tomato Recordings”から92年にリリースされたUnderworld – Mother Earthなのは意外と知られていないし今の若年層には全くピンと来ないだろう。そして彼の加入により、ちょっと冴えない(失礼!)UK Indie Rock BandであったUnderworldはJunior Boy’s Ownとの契約を交わし93年にMmm… Skyscraper I Love Youをリリース。このヒットから皆様ご存知のCowgirl / Rezの爆発的ヒットにより、知名度をワールドワイド・レベルにまで押し上げた。

また、Underworld加入後に別名義プロジェクトとしてLemon InteruptでもDirtyをリリース、Junior Boys Ownきっての看板アーティストとなったのは皆様ご存知のところ。また94年には”Dark & Long”、95年には”Born Slippy”とヒットを連発し、この2曲は映画”Trainspotting”に採用されているので耳にした事がある方も多いだろう。ココ日本では彼のことを当時からUnderworld名義での活躍をフォーカスしてきたので、Technoで分類されることが多かったのだが、remix workはprogressive色の強い構成が92年当時から垣間見れるので興味のある方はチェックして頂きたい。

そして2000年にDJ活動に集中するという理由によりUnderworldを脱退、同年にSashaとのコラボ作”Scorccio”の大ヒットで彼の存在感を十二分にアピールした。現在はUnderworld活動期94年に立ち上げた自身のレーベル”Underwater”運営に奔走。

・Justin Robertson

本名Justin Robertson、恐らくこの記事を読まれている方は「?」なんて思われる方が殆どだと思う。しかしながら、Balearic Mindを前面に押し出したDJ/Artistで92年当時から彼はProgressive Houseとの関わりは深かったのだ。Acid House Movementで伝説となったManchesterのClub”Hacienda”のResident DJとして抜擢され、その名を轟かせた彼は後に数多くのプロダクション・ワークでの作品をリリース(詳細はDiscogs参照)、自身のプロダクションではLionrock名義での活動が日本では有名だろう。

そしてThe Sugercubes脱退し1993年にソロデビューを果たしたBjörkの1st single”Big Time Sensuality”のremixerにも抜擢、94年には既に皆様お馴染みのBig Party “Bugged Out!”のresident DJとして活躍(当時のresident DJはJames Holroyd、Felix Da Housecatと彼)筆者の私が過去2回競演させて頂き、師と仰ぐスーパースターで御座います。また、2008年からはNeo Balearicへのアプローチを匂わせるプロジェクト”The Deadstock 33′sを始動させ、レーベル”is it Balearic?”から2009年にリリースされた”Drifting On A Wave”はNu Disco/Neo Balearic界隈で高い評価を得ている。今後の活躍も要注意。少しプライベートな話だが、彼はMBAの資格を有する言わばインテリ系アーティストでもある。

・Sasha

本名Alexander Coe、87年から88年にイギリスで起きていたAcid House Movementを伝説のHaciendaで目の当たりにし、Manchesterに移住しDJ活動に目覚める。motownに代表されるBlack Musicをバックグラウンドに持ち、その類稀な才能をいち早く開花させ91年には既にトップスターへと上り詰めたスーパースターDJである。彼のDJmixが世界的に話題となった処女作は前回ご紹介したCJ Mackintoshとの92年の企画mixtape “Mixmag Live! Vol. 3 – Sasha & CJ Mackintosh” (後にCD化)で当時のプレイを楽しめると思うのだが、この当時はGarage色が有りながらもProgressive黎明期らしい展開を見せてくれるのでSashaファンは是非一聴を。

93年にはDave Seamanとのコラボレーション”Sasha And Dave Seaman – DJ Culture”を発表、翌年94年には彼のplayに影響されデモテープをSasha本人に手渡して才能を認められたJohn Digweedとの運命的な出会いを果たしコンビで活動をスタート、RenaissanceからSasha & John Digweed名義でMix CDをリリース、更に96年には”Northern Exporsure”をリリースしTrance色を強めていった。彼の才能がココ日本にも届いた決定打は1999年にリリースされたシングル”Xpander”とGUからリリースされたGU013:Sasha – Ibizaだろう。筆者の私は「コレでやっと日本で彼が正当に評価される時が来た」と感じた劇的な作品であり、皆様もご存知の名作だ。2002年には初のソロアルバムとなる”Airdrawndagger”を発表し地位を確かなものに、さらにDJでいち早くAbleton Liveを現場に導入した第一人者でもある。

しかし悲劇は突然襲いかかる。2003年に相手の不注意による交通事故に遭い、スランプに陥る。その時期のDJは残念ながらSasha本来の持ち味である壮大な世界観を表現しきれず筆者の私も当時心配していたのだが、04年リリースのアルバム”Involver”で完全復活、実に12万枚を売り上げるヒットとなった。その後はSasha自身がレーベル”emFire”を2007年に発足、2010年の新作が待たれる。

このProgressive Houseは実はメディアに94~95年に一度、抹殺されている。理由は例のアレで「ヒットを狙った2匹目のどじょう」トラックの乱立だ。それに加えてレーベルオーナーのオーバードーズによる死も複数重なり、メディアからネガティブキャンペーンや辛らつなコラム等が掲載された。非常に残念な話だがProgressive House黎明期はドラッグカルチャーとの結びつきが非常に強かった事は否定できない。その失敗があったから98年~02年のProgressive House revivalの時には商業的なイメージ戦略が加わり、トラックメイカーの質も格段に上がったのも市場を押し上げ、この時期の音楽売り上げは過去最高を記録した。しかしながら03年以降に起きたダンスミュージック・ショックにより多くの良質なレーベルがバタバタと倒産、今ではアナログでリリースされるレーベルも少なくなりデータ販売が主流となる音楽へシフトしているのはアナログフリークの筆者にとっては何とも寂しい限り。しかし2010年の今、このProgressive mindを継承したアーティストが続々と”Nu Disco”界に参入し、新たな局面を迎えようとしている・・・。